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降谷建志 インタビュー
「一人の音楽家としてどこまでやれるのか、やりがいを見出していきたい」

10月17日(水)にソロオリジナル・アルバム「THE PENDULUM」(ザ・ペンデュラム)を発売した、降谷建志。Dragon Ashのフロントマンとしてバンドを牽引し続けている彼が、ソロプロジェクトをスタートさせたのは2015年のことだった。それから3年振りとなる今作は、作詞・作曲・アレンジだけでなく、使用するすべての楽器の演奏まで降谷自らが行なった全12曲が収録されている。アルバムの制作に際して”鍵となった重要な楽曲”である「Playground」について、さらにソロプロジェクトへの想いを語ってくれた。

「こぼれ落ちたもので足の踏み場がなくなっていた」

——「THE PENDULUM」は3年振りのアルバムとなりました。

「Dragon Ashで去年に作った11thフルアルバム『MAJESTIC』のツアーが終わってから、ソロのアルバムを作る期間に入りましたね。本当は、基本的にずっとソロの制作をしたいんですよ。でもソロで作るとなると、全部一人でレコーディングをやるから物理的に許されないところもある。この期間にソロをやると決めて時間を取らないと、制作ができない。今回はちょうどその期間が作れたんですよね」

——ずっとソロやっていたいというのは?

「音楽的に今の自分の感性を素直に表現できる唯一の場所だからですね。Dragon Ashはバンドの目的がはっきりしてて、やること決めてやってる。だから自分から生まれてくるものの中でその目的に当てはまらないものは、どんどんこぼれ落ちるんです。自分で制限かけてやってることなんで、それにストレスが強くあるわけじゃないですけど、こぼれ落ちるものは多々ありました」

——今作が出来上がるまで3年もの期間があった分、こぼれ落ちたものはたくさんあったのではないでしょうか?

「そうですね。今回はタイムリミットが来てしまったからこの12曲になっているだけで、猶予があと一か月あったらあと一曲増えただろうなと想像できるくらい、曲は作れたと思います。バンドとしての目的を定めて生まれてくるものをピックアップしてやっても、こぼれ落ちる方法論や世界観の方が格段に多くなっていたんですよね。だんだんそのこぼれ落ちたもので足の踏み場がなくなって歩けないほどになっていた。だから一つひとつ拾って形にしていくと、いろんなことがまあまあ楽になる。特にソロというのは自己表現だと思うんで、徐々にすっきりしていくんですよね。自分から何かが出ていってしまうっていうというよりは、ゆったり作ったことで整理がついてくる制作でした」

「正論でなくても、たとえ倫理観に欠けていても構わない。だって、アートだから」

——今作において「Playground」が鍵となった曲ということですが、この曲をきっかけにアルバムが完成していったという感覚なんですか?

「そうそう。時系列的に『Playground』が一番最初にできたわけじゃないんだけど、それを書き終えた時に景色が開けたんですよ。ずっとスムーズな制作ではあったんだけど、『Playground』が出来上がってから制作がよりスムーズになりましたね」

——これまでの曲作りと何が違っていたんですか?

「『Playground』って現実逃避の歌なんですよね。間違ってるのは百も承知だし、子供じみてるって自覚してるけど、それでも遊び足りないから、誰にも見つからないように鍵をかけて、自分の大切な世界に閉じこもってやろうかなっていう気持ちを表現しました。この曲を作れた時に“これでいいんだ”ってすごいスッキリしたんですね。“こういうことをやりたかった、歌いたかったんだ”と改めて思えた。自分が納得いく範囲で言葉を選びつつ、かつ人に伝わる赤裸々さもある文面で詩が書けたんです。そこから詩の書き方は変わって、自分の根っこ自体が大きくなった気がしますね」

——詩の表現への向き合い方が大きく変わったんですね。

「バンドを21年やってきて、ずっといろんな多くの人に聴いてもらったりライブに来てもらったりしてると、願わくばポジティブなメッセージを発していたいと思うようになるんです。またライブハウスのドアを開けて入ってきた時より出て行くときの方が足取りが軽やかになったり、気持ちが晴れやかになったりしてほしいと思うようにもなるんですよね。それは感謝の念というものがあるからだろうし、自分もライブ後はそうでありたいからでもある。だから徐々に正しいことを歌わなきゃって心のどこかで思うようになっていた。勘違いなのは分かってるけど、合っていることを歌わなければ共感を得られないと思うようになってくる」

——そこから、どのように「Playground」の歌詞へと行き着いたんですか?

「“本当に俺が思っていて伝えたいことであれば、それが正論でなくても、たとえ倫理観に欠けても構わない。だって、アートだから”という気持ちになれたんですよ。そう思えてから、より筆が走りましたね。音楽って自己表現だから、社会的に合ってる合ってないの問題じゃない。あの子が可愛いから後ろから羽交い締めにしてやりたいって歌っても、別にアートだからいいわけだし。例えば映画だって、正しいことしかないものばっかり見ててもつまらないじゃない。殺人が一回も起こらない映画だけが放映されてたらさ、たぶん映画そのもののアートが破綻するじゃないですか。誰しもどこかにある変な願望や欲求の拠り所になるような、アートだからこそのかっこよさってのもある。そういうことが分かってるはずなんだけど、自分の肉声で歌うってなるとだんだん怖くなってくるんです」

——そうだったなんて、驚きました。

「99パーセントで俺の曲作りは、まず楽器を演奏してトラックを作ってからメロと詩を乗せるんだけど、自分にとっては楽器弾いてトラックを作ったところで曲の9割方が決まるんですよ。そこから詩を書いてメロをつけて歌う作業を終えると、急に曲が自分の理想と遠ざかってしまう。声って肉体で発する楽器だから、ギターやドラムといった普通の楽器のように思うがままにいろんな音色を奏でるくれないものなので、親からもらって培ってきたものを自分で認めて愛していくしかない。背負っていくものだからこそ、それを介して人にどういう影響を及ぼすのかとか、どういうイメージを持たれるかっていうのがまあまあ怖くなって、極端な表現に踏み込めないんですよね。Dragon Ashのフロントマンとしてステージではバンドメンバーの真ん中にいて、バンドのスポークスであり拡声器を持ってんのは俺。つまりデモの一番前にいるのが俺。そういう意識もあって、自分で作って歌ってはいるけど、だんだん言えることが狭まってくる気がしてたんですよね」

——自分が抱える想いを素直に表現するとなると、バンドにおけるフロントマンの立ち位置とは違い、ソロでは身体一つで周りからの意見を受け止めることになるとは思います。そこに対する覚悟はいかがですか?

「ソロは自己表現だから、そういうのを怖がるのはソロをやってる意味がないよね。かなり覚悟はできてるタイプのミュージシャンであり、ザ・バンドマンですから全然大丈夫です。でも確かにバンドは苦楽を共にするし、同じ釜の飯を食うし、いろんなことを分かち合うっていうロマンがある。それに対してソロでは全部一人でやるから、“一人の音楽家として俺はどこまでやれるんだ?”っていうやりがいを見出していきたいんですよね。キャリアが長ければ長いほど、好きなものもはっきりしてくるし、器のサイズが決まってきちゃうからさ。まだそこに抗っていたいなって気持ちもある」

——「Playground」のように作り上げた曲から潜在的な想いを改めて知ることは、これまでにもありましたか?

「人と比べたことないから分かんないけど、そういうことは多いかも。こんなに人生で自分と膝付き合わせて語る時間が、どんどん大人になるにつれてなくなってくると思うんですよね。ただでさえ俺はバンドマンでずっとバンド活動してる。全国各地のフェスにほとんど出させてもらってるぐらい、バンドメンバーでのライブが好きで、バンド仲間も多い。だから自分と向き合うのって作詞作曲の時間だけぐらいしかないし、それは貴重な時間ではあるんですよね」

——ソロでのレコーディングは一人でされるからこそ、自分との濃密な対話ができますよね。

「一人でレコーディングしてるから、どう閃いて全部の音をどうやって演奏したかって俺しか知らない。我が子のような感覚というか、自分で認めて抱き寄せてあげることがバンドでやっている時よりはソロの方が多いかな。でもみんなで意見交わしながら試行錯誤してやったものも、美しいものなんですよ。バンドが美しいっていうのは誰よりもわかってやってるから、逆にそこじゃないことをソロではやりたいんですよね」

「振り子が弧を描くように、緩やかな感情の起伏が生まれたら」

——「THE PENDULUM」というタイトルには、どんな想いが込められているんですか?

「“THE PENDULUM=振り子”という意味なんですけど、Dragon Ashとの対比で考えたことからタイトルにしました。Dragon Ashはほぼモッシュとダイブを巻き起こすためだけにやってて、飽くなきロックの精神性を大切にして続けているんですよ。そんなDragon Ashとは違った方向性で音楽を作っているのがソロなんです」

——どんな方向性なのでしょうか?

「誰かの体を揺さぶって、縦ノリでも横ノリでもなんでもいいから半狂乱に踊り狂わせるみたいな、体を揺さぶる音楽。そして誰かの心を揺さぶって、笑顔にさせたり、いい涙を流させたりする、心を揺さぶる音楽。いい音楽ってたぶんこの2つのどっちかだと思うんですよね。体か心、このどちらかを揺さぶれればグッドミュージックだと思います。そうやって考えると、Dragon Ashは体を揺さぶることに全ステータスを振ってるわけですよ。毎週のようにいろんなとこでいろんな人と対バンするというのが割とバンドの文化であって、そこで一番モッシュとダイブを起こして勝たなきゃいけない。それは盛り上げたヤツの勝ちという、男の勝負論みたいなものなんだろうね。だからBPMもちょっとずつ上がって、チューニングもちょっとずつ低くなって、他者と比べてBPMが緩く聴こえてしまったり、チューニングが軽く聴こえてしまうのが時代的に許せなくなっている。くだらないことだけど、その勝負論の中で誰が一番盛り上げたかっていうことを何万人の前のメインステージでやっていくことで、どんどん音楽的に進歩していくだろうなって思うし、それはそれでやりがいがあるんですよ。CDの売り上げ枚数が下がってるかもしれないけど、ライブハウスに来る人って減ってない。俺らはどんどん盛り上げようとすると、お客さんもすげー楽しそうにしてくれるからさ、よりバンドマンの生の表現という価値を見出してる。そうやってDragon Ashでは体を揺さぶる音楽をやってるから、ソロは心を揺さぶる音楽をやりたいんです」

——ソロでは心にフォーカスしているんですね。

「振り子って左右に揺れますよね。左に重りがあったら弧を描くように全部通過して、初めて右に来るじゃん。Dragon Ashは急転直下、つまり静と動や明と暗が一瞬で切り替わって大爆発するみたいなアレンジをしていて、振り子の動きとは全く違う。リスナーの体を急激に振るわせるためにそういうアレンジをしてるからなんですよね。でもソロでは、振り子が弧を描くように、緩やかな感情の起伏が生まれたらと思うんです。いきなり光が闇になるんじゃなくて、だんだん明るくなったり暗くなったり、普段では作っていないそういう波でいろんな物事を表現したいね」

——改めて今作は降谷さんにとって、どのような作品になったと感じていますか?

「全部の楽器をやってるから誰よりも自分の一部だって、こんなリアリティ持って言える人間ってそういないと思う。良い部分も良くない部分も全部ひっくるめて、すごい自分だと言える。この音楽を楽しんで傍においてくれたら幸福なことはないけど、誰かの傍に寄り添うためにプロとして言葉選びやアレンジを施してないんですよね。だからどう捉えられても、納得できる。大切な作品になったなと思うし、すぐにでも次を作り出したい」

——創作意欲が湧いているんですね。

「あんまり音楽を作るという欲求自体は枯渇しないですね。枯渇したら21年もやらないからね。でも俺がこんなにも続けているのは、音楽しかない。だから音楽をずっとやれることは、幸福なことなんです」

——名古屋より全国ツアーがいよいよ始まります。

「今回は俺がクアトロサイズの箱が一番好きで、やらせてくれって言ってクアトロに決まったんですよね。目が悪くてあまり見えないのも関係してるかもしれないけど、小箱が好きなんです。向こうの汗もこっちの汗も肉眼で見れるぐらいだったり、肉声が聴こえるぐらいだったり、そんな近い距離感がドキドキする。自分も想いがみんなに伝わってるって感じられるし、見てる人のエネルギーも伝わってくるから小箱好きなんです。それが叶って嬉しいですね。今回から“Kj and The Ravens”として日本有数のミュージシャン達と一緒に回るんで、楽しみにしてもらいたいです」


インタビュー・文:笠原幸乃




(10月22日更新)


Check

Release


album「THE PENDULUM」

【通常版】
2800円(税別)
VICL-65062
ビクターエンタテインメント/Getting Better

LIVE

10月22日(月) 19:30
名古屋クラブクアトロ
オールスタンディング-5500円(整理番号付・別途ドリンク代必要)
※小学生以上有料。未就学児童(6歳未満)は入場不可。
ジェイルハウス[TEL]052(936)6041

Pコード:118-878

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