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名古屋グランパスGM久米一正と、サッカー監督西野朗。
旧友でありライバルでもあるふたりによるトークイベントをレポート。 (1/3)

名古屋グランパスを、常に優勝争いが可能なチームに進化させたゼネラルマネジャー、久米一正。ガンバ大阪の黄金期を築いたサッカー監督、西野朗。日立製作所時代からの友人であるふたりが、その出会いからともに戦った柏レイソル時代、そして勝てるチームを作るための組織論までを語ったぴあトークバトル。その模様をレポートする。
text:細江克弥

久米一正と西野朗、ふたりが同じステージにあがった

 

 どこか照れ臭そうに並んで座る2人を見れば、彼らがどれだけ長く、サッカーというフィールドで同じ時間を共有してきたかが分かる。

 

 名古屋グランパスのゼネラルマネジャーである久米一正と、96年アトランタ五輪代表監督を皮切りに柏レイソル、ガンバ大阪、ヴィッセル神戸で監督を務めた国内屈指の名将・西野朗――。2人は高校時代からピッチでしのぎを削り、ある時はライバルとして、ある時はチームメートとして、またある時はライバルチームのフロントスタッフと監督として、サッカーを通じて友情を深めてきた30年来の親友だ。

 

 4月14日、そんな2人が同じステージに上がった。舞台は新緑のピッチでもサッカークラブでもなく、名古屋市千種区にある名古屋市中小企業振興会館・吹上ホール。「サークルKサンクスpresentsぴあトークバトル」で顔を並べた2人のビッグネームは、進行役を務めたスポーツライター・青島健太に招かれてステージに登場すると、やはり照れ笑いを浮かべながらこんな会話を披露した。

 

久米「西野のことは名前で『朗』と呼んでいるんです。お酒が入っちゃうと、夜遅くてもついつい電話しちゃうんですけど……全くコールバックがない(笑)」

西野「いつも『またか……』という感じなんですよ。着信履歴は一応確認しているんですけど、電話が掛かってくるのはいつも深夜ですから(笑)」

 

 久米は昨今のスポーツ界で大きな注目を集めるゼネラル・マネージャーという職業のパイオニア的存在で、もちろんこの日の舞台となった名古屋のみならず、全国のサッカーファンに広くその名を知られた存在だ。一方、昨シーズン途中までヴィッセル神戸の監督を務め、それ以前は名古屋グランパスとライバル関係にあるガンバ大阪で監督を務めた西野についても、名古屋グランパスのファンはもちろん、全国のサッカーファンがよく知っている。

 

「普段はトークショーのオファーを断っている」という西野が、親友である久米との対談だからこそと引き受け、実現したこのトークバトル。2人の“仲良しトーク”によって和やかに幕を開けたイベントは、詰め掛けたサッカーファンの大きな期待に包まれた。

 

 

静岡と埼玉。サッカーどころで名を馳せたふたり

 

 会話はまず、高校時代に始まる2人の出会いからスタートした。静岡県と埼玉県。お互いに国内屈指の“サッカーどころ”で名を馳せた当時の記憶をよみがえらせる。

 

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久米「西野は高校時代からまさに貴公子。プリンスだったんですよ。彼の周りには常に女の子のファンがたくさんいて、ファウルなんてしようものなら外野からのクレームがすごかったんですから」

西野「久米の名前は関東にまでとどろいていました。静岡の浜名という高校に“暴れん坊”がいるということでね。選抜チームで一緒にプレーすることがあったんですが、泥んこが似合うファイターで、それはもうびっくりしましたよ」

 

 当時を知るオールドファンにとっては、西野がサッカー界の「プリンス」として大人気を博したことは有名なエピソードの一つ。久米が静岡の実家から引っ張り出してきたという当時の写真には、確かに端正な顔立ちの西野と、その西野が「泥んこが似合う“暴れん坊”」と評する久米の姿が映っている。つまり2人は、対照的なプレースタイルを特徴とする選手だった。

 

 青島の提案によって、30年前の写真と同じ“配置”で座り、再び照れ笑いを浮かべる2人。続いて披露された写真には、クールな印象の強い西野の表情にも少しだけ動揺の色が見て取れた。その写真に写っているのは、チームメートとして同じピッチに立った日立製作所サッカー部時代、西野が留学先のイングランドから久米宛に送った一通の手紙だ。そこには、留学中の近況報告、身重の久米夫人を気遣う言葉、日本への帰国をためらう言葉、さらに「お互いに削り合うのをやめよう」という内容が記されている。

 

西野「高校、大学時代は対戦相手としていつもマッチアップしていて、まとわりつかれていたんです。実業団に入ってようやく同じチームになったと思ったら、彼がレギュラーで僕がベンチ。つまり紅白戦でまたマッチアップするようになって……いつもやられてましたよ、本当に」

久米「西野さんのご自宅に行くと、1枚の写真が飾ってあるんですね。それはお互いの大学時代の写真で、僕が後ろからガツンと当たっているシーンなんです。だから彼の奥さんがいつも言うんですよ。『久米さん、いつもウチの主人を削ってるじゃない』と(笑)。彼のイングランド留学には刺激を受けました。向こうのサッカーを肌で感じているんだなと。日本ではなく、先進国でサッカーを続けたいという思いが伝わってきましたね」

 

 

引退後、マネジャーと指導者、それぞれの道へと歩き始める

 

 2人はともに1978年に日本リーグデビュー。久米は132試合11得点という記録を残して1985年に引退、西野は143試合29得点、日本代表としても12試合に出場するキャリアを築いて1990年に引退した。しかしユニフォームを脱いでも、2人は“裏方”としてサッカー界の発展に尽力してきた。

 

 久米は一時的に社業に専念したが、1988年に日立製作所サッカー部の渉外担当マネージャーとして“現場”に復帰。1991年には日本サッカー協会とJリーグに出向し、事務局長としてJリーグ発足に力を注いだ。

 

久米「Jリーグの発足プロジェクトは、主に初代チェアマンの川淵三郎さん、小倉純二さん、森孝慈さん、木之本興三さん、佐々木一樹さん、それから僕の6人で進めていました。川淵さんはものすごく厳しくて、会議はいつも白熱していましたよ。私はこのプロジェクトに参加させてもらったことで、日本サッカーのプロ化の流れが見えていました。ただし、大切なのはJリーグ“発足後”のこと。選手たちはサッカーで生活をしていかないといけないわけですからね」

 

 一方、西野は指導者としての道を歩き始めた。最初に与えられた仕事は育成年代を指導すること。1994年にアトランタ五輪出場を目指すU-23日本代表監督に就任すると、28年ぶりの五輪本大会出場を決め、本大会ではブラジル代表を破る「マイアミの奇跡」を演じた。

 

西野「就任したばかりの頃は、世界を目指すという目標に対してなかなか実感を持てず、その年代の選手たちにうまく伝えることができませんでした。でも、Jリーグの発足を機に選手たちの意識がガラリと変わりましたね。日本サッカー界が大きく変わろうとする時代に指導者としてのキャリアをスタートさせたので、本当にいい時代に、才能ある若者を預からせていただいたと思います。若者がアジアから世界に目標を変えていった、本当にものすごいスピードで成長した時代だと思いますね」

 




(5月 9日更新)


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(C)N.G.E

EVENT DATA

サークルKサンクス presents
ぴあトークバトル スポーツ快楽主義
名古屋グランパススペシャル

「優勝請負人が語る常勝のマネジメント」
4月14日(日)
吹上ホール メインホール
[出演]久米一正
[ゲスト]西野朗
[司会・進行]青島健太

[MC]YO!YO!YOSUKE

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<vsセレッソ大阪>
大分トリニータ

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