ホーム > 連載 > 久野誠の「取材ノートお見せします」

kuno-main15.jpg

 

PROFILE

久野誠●くの・まこと

1952年、三重県津市出身。昭和50年のCBC入社以来、40年近く中日ドラゴンズを追い続けてきた一方、バラエティ番組出演経験も豊富な「色物的スポーツアナウンサー」(本人談)。今年もテレビ、ラジオ、CSなどでドラゴンズ戦の実況を担当する。

kuno-profile.jpg

RADIO PROGRAM

『CBCドラゴンズナイター』 
 毎週火曜~金曜 17:57~ 

『CBCドラゴンズサタデー・
 ドラゴンズサンデー』 
 土・日曜は試合時間に合わせて放送! 

CBCラジオ 

木俣達彦、山田久志、小松辰雄、牛島和彦の4人の豪華解説陣が、プロも納得、野球にあまり詳しくない方にもわかりやすくドラゴンズ戦を解説。実況はCBCが誇る8人のスポーツアナウンサーが担当し、緊迫のプレーを迫力そのままに「1球にこだわる」放送をお届け。
ドラ魂KING

BACK NUMBER

第一回 「アナウンス研究会の思い出」
第二回 「取材現場のこと」
第三回 「実況という仕事」」
第四回 「サンドラ」
第五回 「日米スタジアム考察」
第六回 「1988年の優勝実況」
第七回 「燃えドラ」
第八回 「失敗談」
第九回 「インタビュー」
第十回 「続けていること」
第十一回 「記憶に残る選手たち」
第十二回 「野球観戦の楽しみ方」
第十三回 「2014年のドラゴンズ」
第十四回 「続・2014年のドラゴンズ」
第十五回 「日米オールスター考」

第四回 「サンドラ」

 

「何を隠そう、小さい頃は長嶋さんファンでした」


「サンデードラゴンズ」のスタートは1983年。担当したのは14年間ぐらい。長かったですねえ。もちろん放送時間帯が変わったり、放送時間が30分から1時間になったり、40分になったりといろいろありましたけどね。いま思えば錚々たる方々に来ていただきましたね。長嶋茂雄さんにも来ていただいたりして。ドラゴンズの番組なのにね(笑)。それはもうすべて高木守道さんのおかげなんですけどね。僕は高木さんとずっと番組をやってきましたから。高木さんが監督の時は近藤貞夫さんや、星野仙一さんともやりました。田渕幸一さんとかね。長嶋さんを呼んだ経緯というのは、番組の放送時間が30分から1時間になる時に、これは何か花火を上げたいなと。そこで高木さんにお願いして、名球界のつながりでオファーしていただいたんです。そして番組では長嶋さんのありとあらゆる都市伝説をひとつずつ確認していくということをやりました(笑)。一茂さんを後楽園球場に忘れてきたというのは本当ですか? とか。これ、本当でした。最終的にはプロ野球の面白さや奥深さなんかも話していただいたんですが、サンドラの一番の思い出ですね。反響はすごかったです。何と言っても長嶋さんですからね! 何を隠そう、僕もやっぱり小さい頃は長嶋さんファンでしたから、感動しちゃってね。本番中に名刺を渡しましたもん。「久野と申します!」ってね。これは本番中の方が絶対に目立つし面白いと思ってのことですが。長嶋さんも受け取ってくれたし、その後に写真も撮ってもらいました。それは大事に家に飾ってありますよ。大きく引き伸ばして(笑)。巨人ファンだったんですよ、小さい頃は。僕の出身は三重の津市ですけど、田舎でしたから。当時はまわりに中日ファンなんていなかったです。僕の親友のひとりが中日ファンでしたけど、クラスの中で浮いてるぐらいでしたからね。三重県ってテレビ放送の関係で、阪神ファンか巨人ファンなんですよ。もちろん、CBCに入社してからは5年間ぐらいの下積みがあるわけで、その間に同世代のスタッフや選手に話を聞いたりすれば、頑張ってほしいと思うじゃないですか。そうすれば自然とファンになっていきます。その頃には江川問題もあったりして、巨人はどうなんだと。ほんとに愛憎裏返しでね、ジャイアンツ嫌いになって、中日好きになっていきました。
 
 

「星野監督って人はね、僕に言わせりゃ泣き虫(笑)」

 
他で大きな思い出といえば、やっぱり星野仙一さんのことになってしまいます。1990年の開幕前のことだったと思うんですけど、サンドラに生放送で出演してもらった時のこと。当時は9時くらいから放送していたんですが、当日昼からオープン戦がナゴヤ球場であって。監督も時間がない中で出演していただいたので、ユニフォーム姿で出演してもらったんですね。スタジオには僕と解説者の高木守道さん。その時に企画として開幕前の選手たちそれぞれから星野監督に一言、という談話を録ったものを次々と流したんです。選手たちは「今年は死にもの狂いで頑張りますから、僕を使ってください!」とか言うわけです。そうしたら生放送なのに星野さんがうわって泣き出しまして。思わず僕は、ここが業界長くなったいやらしさなんですけど、「カメラ、アップアップ!」と(笑)。「なにがアップじゃ!」って監督には言われたんですけどね。あれは忘れられないですね。反響もすごかった。星野さんの人柄が出たというかね……。それで僕も「監督、たまらないですか?」と聞くと、泣きべそ状態で「たまんないね……」って言ってくれて。星野監督は、たまには手も出し足も出す(笑)。特に第1次政権の時はそうでした。その一方で情に厚い人で、喜怒哀楽が豊かで、そういう意味では非常にわかりやすい人なんです(笑)。例えば選手の奥様に花束を贈って「あなたがいるから選手は頑張れるんです」というメッセージを添えてフォローする。そんな人情監督でもあったんですね。

星野監督って人はね、僕に言わせりゃあ泣き虫なんですよ(笑)。あんなに泣く人いないですよ! それこそ1982年、星野仙一投手の最後の年です。近藤監督のもと優勝したんですが、星野投手はだんだん出番も減っていった時期でした。精神的支柱ではありましたが、出番自体は減っていたんです。そんな中で優勝が決まって、日本シリーズまで時間があったので、若い時分の僕が「あの」怖い星野投手(※連載第2回参照)にインタビューすることが決まったんですよ。取材のOKはもらいまして、上司からは「世間は今年で星野は引退するんじゃないかと思われているんだけど、本当のところはどうなのか、聞いてこい」と。何で若手の自分にそんな重い仕事を……という感じでした(笑)。とにかく行って、困ったなあと。どう接していいかわからない雲の上の人ですからね。それでもう、しょうがない、と心を決めまして。そうだ、吸い殻入れを蹴飛ばした、いつぞやの話をしようと思ったんです。ほとんど居直りです(笑)。

最初は普通の話から切り出したんですが、ついに「星野さんは僕にとって怖い人だったんです!」と告白しました。「ただ、喜怒哀楽があって、巨人に向かっていく星野さんが大好きでした!」と。ほんとに一ファンの発言ですよ。マスコミでもアナウンサーでもなく、一ファンとして言ったんです。続けて「その星野さんが引退だなんだと言われるのは、すごくさみしいです!」と思いっきり言ってしまったんです。すると星野さんは少し考え込むような、もしかしたら泣いているかのように黙ってしまって。それから「お前、そんな泣かすなよ……」と言ったんです。これを聞いたとき、これまたいやらしい話なんですが「やった」と思いましたね(笑)。いい言葉聞き出せたんじゃないか?って。もうこれでいいやと、この言葉で星野さんの人柄はわかってもらえるし、インタビューなんて本来は人柄が出てきたら勝ちですよ。そのときもやっぱり泣いてたような気がしますね。

 
 

「高橋真梨子さんの歌でワンワン泣いてしまって」

 
まだ続けてもいいですか?(笑)。今度は2001年、中日の監督を辞めた後に阪神の監督になるんですが、その時、星野さんに中日時代の話をしっかり聞く機会がラジオの特番でありました。いろんな中日時代の思い出話をしたんですが、その頃にはみんなで星野さんを泣かそうという意図がスタッフ全員の中にありまして(笑)。そこで僕らがしたことは、「それではここで、星野さんの好きな曲を流したいと思います」。星野さん、実は高橋真梨子さんがものすごく好きなんです。「それではお聞きいただきましょう、『五番街のマリー』」。放送で流したのはワンコーラスですかね。そこからはBGMレベルに下げて再びトークです。「この曲がお好きなんですよね?」と聞いたらもう泣き出して。びっくりしたんですけどね。それぐらい大好きなんです。そこで僕もいやらしいことに(笑)、「そういえばショートカットの高橋真梨子さんは、奥様にも似てらっしゃいますよねえ」と言ったらますます泣いてしまいましてね。それでもうワンワン泣いてしまって、逆に収拾つかなくなるくらいでした。あそこまで泣き出すとはびっくりしましたねえ……。それは高橋真梨子さんが純粋に好きなのと、どこか背景として亡くなった奥様のことがあったと思うんですが。まさにそれが人情監督たるところですね。だから僕の前ではけっこう泣いているんですよ。僕も堂々と言っていますから、あの人は泣き虫だって。怒るような人ではなく、泣き虫なんです(笑)。でもほんと魅力的な人ですよ。監督って弁が立つことも重要ですけど、記者会見や発言でも短いフレーズでポンと言ったりと、うまい監督でしたね。

 
次回はスタジアム、球場をテーマにをお話しします。


(2月 8日更新)

Check