ホーム > インタビュー&レポート > 指揮者・井上道義インタビュー 「敷居の高さはね、クラシック音楽にはやっぱりあるんですよ。 でも入りにくさっていうのは、奥深さにも通じることです」

指揮者・井上道義インタビュー
「敷居の高さはね、クラシック音楽にはやっぱりあるんですよ。
でも入りにくさっていうのは、奥深さにも通じることです」(1/2)

“クラシック界の異端児”との呼び名を持つ井上道義は、国内外で高い評価を得る、日本を代表する指揮者と言っても過言ではない人物だ。今年で66歳になる井上だが、いたずら心を忘れないその姿勢は、いまだクラシック界に強いインパクトを与え続けている。近年はラ・フォル・ジュルネ金沢での活動も印象的な彼に、クラシック音楽の魅力から、それともつながる人生観までを聞いた。彼の視点はあくまで指揮者としてのものだが、その言葉は聴き手である我々にとっても、クラシック音楽の奥深さを知るための大きなヒントになるはずだ。

「まともなことをまともにやる。それがクラシックをやる意味」

「僕は指揮が専門なんだけど、指揮者になろうと思ったのは、ピアノもやりたくない、役者になれば僕の顔では役は限られる、それから人とお酒を飲んだりするのが下手なので、商売人にはなれない。消去法で指揮者になった男なので、指揮だけやっていればハッピーっていうわけじゃ全然ないんだよ。好きなのは舞台。現実では、インタビュアーはインタビュアーらしく演じているわけだし、カメラマンはカメラマンらしい行動をするわけだけど、そういうことを舞台でやることに興味があるんです」

 舞台でどう見せるか。演奏だけでなく、その企画性でもクラシックファンを魅了し続けている井上道義。慣例に捕らわれない演奏プログラムや、ジャズピアニストとのコラボなど、これまでにない発想で常にファンを驚かせている。その斬新さから時に批判を浴びることもある井上だが、誤解を招かないようにしておきたいのは、演奏自体は常に王道を意識していることだ。そこからは、彼のクラシック観、そしてクラシック音楽の本質的な魅力をうかがい知ることができる。

「クラシック音楽をやる限りは、演奏は普通に王道を取るほかない。王道を取らないと、結局感動もしないし、後にも残らない。それを纏うカタチをしては、あんまり王道を行っていないように見せているとは思いますけど。でも、どんな演奏を聴いてもらっても、俺のは異端では全然ないと思います。だって、まともなことをまともにやりたいですから。大変なことだし、なかなかできないことだけど、それがクラシックをやる意味でしょ。いろんな国の人たちが切磋琢磨して作ってきた歴史、結果なんだから、いいあり方、いいバランスっていうのは決まってる。地球のバランス、宇宙のバランスと同じように、音楽のバランスっていうのはだいたい決まっていると思います」

 マーラーやショスタコーヴィチの指揮者として高い評価を得ている井上だが、確かにそのどちらでも、王道から大きく逸脱した楽譜の解釈はしていない。指揮者による楽譜の解釈の違いはクラシック音楽の面白さのひとつだが、彼はそれを『死んだ人と話せる』という独特の表現で語った。

「クラシックが面白いのは、死んでる人と話せることね。クラシック音楽って、過去の作曲家たちが書いた楽譜が残ってて、それを今、よみがえらせるわけですよね。楽譜だけじゃ音楽にならないから、自分の力でよみがえらせる。隣にベートーヴェンさんならベートーヴェンさん、ショスコタコーヴィチさんならショスタコーヴィチさんがいて、どんな気分で音符を3度上じゃなくて3度下に書いたかっていうことを考えながら、対話するんですよ。これは本当に面白くて。だから死んでいる人と対話できる。時代を超えて、100年前なり200年前なりの他の国、他の場所での何かを見る、それは非常に面白いですよ」

 長い時間のなかで見出されたバランスと、歴史上の作曲家とですら会話できる奥深さ。クラシック音楽が多くの人を惹きつけてきた大きな要素だが、同時にそれは、敷居の高さにも繋がっている。

「どれぐらい高いかの問題だけど、敷居はね、やっぱりあるんですよ。なんでもあるんですよ。ジャズだってあるじゃないですか。多少は入りにくさっていうのは、奥深さにも通じることですからね。人間がやることは両面あるので、入りやすいものっていうのは、意外と出やすい(笑)。だから、ある程度敷居というか、ドアは閉まっていると思いますけど、僕は演奏家なのでそれを開ける鍵を渡す役目だと思ってますから。その役目がうまくいけば、敷居もツイッと越えられると思ってますね」



「昨日は東京でやった、今日は名古屋に来る、
そういう環境の違いがすごく嬉しい」


 井上は今年で66歳。「やりたいことは全部やって達成感がある」と語るが、いまだに現役で活動を続けている。引退の二文字を予感させることはない。

「引退……、引退ね。それは誰でも一番難しい問題だと思います。例えば定年を迎えて、そこで人間どうなるかっていうのは、非常に難しい問題だと思います。それはみんな考えることじゃないかな。ふつうの人には定年っていう数字があるんだけれども、指揮者って定年ないんでね。定年のない仕事をやりたいと思って始めたんですけど、もう手が腱鞘炎で痛い、痛い。一回音楽会やると、手が上がんなくなるぐらい痛い」

 体力面と精神面、年令を考えるとその双方で続ける難しさを感じていることは、想像に難くない。しかも彼は「やりたいことは全部やった」と言い切っているのである。それでも指揮を続ける理由はなんだろうか。

「だって面白いもん。僕らの世界でありがたいのが、拍手ってのがあってね。あれは録音だけで仕事している人にはないでしょうね。オーケストラの人にも、拍手っていうのは一日の終りとしてきっと必要だし、その時の達成感、得られる喜びっていうのは本当に嬉しいよね。心臓外科医のお医者さんが命を助けたって、患者は『ブラボー!』なんて言わないもんね(笑)。お互い様なんだからね、もっと言うべきだと思うな(笑)。
 それと毎日人に会ってても、それこそ自分の家族でも毎日どんどん変わるわけでしょ。家族に愛情がなくなるってことは、毎回会っても全然変わらない、なにも新しいものが生まれてこないということ。昨日も今日も相手が同じだと思ったら、一緒にいる意味なくなるでしょうけど。そういうのと同じで相手が変わる、昨日は東京でやった、今日はこうして名古屋の方に来る、そういう環境の違いがすごく嬉しいよね」

 それは、クラシック音楽との向き合い方というよりは、井上道義の人生観、生き方という言い方のほうがふさわしいかもしれない。

「オーケストラ・
アンサンブル金沢っていうのをやりだしたのも、僕自身にはとても刺激になっていて。これぐらいの規模のオーケストラだと、ひとりひとりの楽員さんの能力っていうのが、はっきりわかるのが面白いんですよ。今までの大規模なオーケストラとは違ったオーケストラの有り様っていうのが見えてきて。いわゆるブレイクして、その曲が日本中なり世界中なりに広まってを繰り返している世界じゃないんで、いろんな世界がどんどん目の前に現れてくるんですよね。だから広いんですよ、ドアの向こう側が


 




(3月25日更新)


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PROFILE

指揮者:井上道義
1946年東京生まれ。1971年ミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝し、一躍注目を集める。古典から近現代の音楽までカバーする幅広いレパートリーと、既成概念にとらわれない企画性は、国内外で高い評価を獲得している。特にマーラーの演奏には定評があり、1999年には新日本フィルハーモニー交響楽団とともに交響曲全曲演奏会を行った。2007年からは、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督ならびに石川県立音楽堂アーティスティック・アドバイザーに就任。ラ・フォル・ジュルネ金沢などで多くの実験的企画を敢行し続けている。